タスク管理 私の管理方法の変遷
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私ごとで恐縮だが、タスク管理の変遷について書かせて頂こうと思う。タスク管理は極めて個人的なことだと思うので、役に立つタスク管理方法の紹介よりも私の方法の変化を見せた方が良いと考えたからだ。
タスク管理を意識して行うようになって10年以上経過した。意識するようになったのは、異動してそれまで使っていた管理方法が通用しなくなってからだ。それからたまたま職場の先輩からシゴタノを教えてもらい、欠かさず読むようになり、さまざまな方法を試し、たくさん本も読んだ。
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書かせて頂こうと思う
やや丁寧すぎるかな、という印象。「書かせていただく」くらいで問題ないかと。
役に立つタスク管理方法
後半の「私の方法の変化」と対比を強めるなら「一般的に役立つ」などとした方がより強調されると思います。
シゴタノ
→シゴタノ!
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私の仕事のスタートは、定型的な仕事を繰り返すタイプの事務処理だった。月次スケジュールや年次スケジュールはほぼ決まっていて、実施もれが許さないタスクだけは実行できれば良いような仕事だった。だから、スケジュール帳に予定を書き込んでおくだけで、最初の部署は、これで全く問題がなかった。管理できていたということである。
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実施もれが許さないタスク
許されない?
だから、スケジュール帳に予定を書き込んでおくだけで、最初の部署は、これで全く問題がなかった
〜で、〜で、と二回登場。後者の「これで」は不要かも。あるいは、文を二つに分けるか。
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次の部署は、全く違っていた。年次スケジュールはあるものの、あくまで目安だった。突然プロジェクトが発生するような職場だった。前職と同じように月次スケジュールを作成するという管理方法を使おうとしたが、ほぼうまくいかなかった。タスクを紙に書き出し実行するということを上司が行っていたので、真似してみたが、タスクリストから消えないタスクが出始めて嫌になってしまった。
この辺りからタスク管理方法の探究の旅が始まった。2つ目の部署ではタスク管理方法を確立できず、次の職場に異動した。3つ目の部署で、冒頭に書いたとおり、シゴタノに出会う。シゴタノで紹介されている方法を身につければ、今の状況を変えることができるかもしれない、と期待が大きくなっていった。
紹介されていた方法をいろいろと試したが、当時内容をあまり理解せず、表面的に行っていたこともあり、長く続くことはなかった。
タスクシュート、GTDなどのメソッドやたすくま(タスク管理アプリ)、OmniFocus(タスク管理アプリ)、Evernote(デジタルノート)などのツールに手を伸ばした。現在、Evernoteを除いては、使っているものはない。Evernoteにしても週2・3回見ればいいほうだ。
振り返ると、タスクを実行するよりもメソッドやツールに慣れることに時間を費やしてしまった感が大きい。それでも、さまざまなメソッドやツールを使うことで、少しずつ、キーポイントは身に付いていったと思う。
キーポイントは、タスクとタスクが結びついていて、これをやらないと次に進めないタスクの見極めだった。
この点については、さらにPERTに興味が向き、クリティカルパスなどについて学んだりもした。
さまざまなタスク管理に関する知識を身につけると、残業も少なく、仕事も早めに終わらせることができたように思う。タスクを見極め、他の人に頼めるものを手放し、装飾的なタスクはあまりしないようになっていった。
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作成するという管理方法
「という」が削れないか一度検討を(削れなければそのままで大丈夫です。表現を変えるのもアリです)
タスクを紙に書き出し実行するということを上司が行っていたので
「という」が削れないか一度検討を(同上)
タスクを実行するよりもメソッドやツールに慣れることに
前後を一致させるなら「タスクを実行すること」がしっくりきます。
装飾的なタスク
なんとなく意味はわかりますが、もう少し説明があった方が親切かと思いました。言い換えるか、文の後に「装飾的なタスクとは、ほげほげのことである」という一文を加えるか。
身につく/付く
場所によって表記が揺れていますので、意図的で無い限りどちらかに統一したほうが違和感が少なくなると思います。
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それから、いくつかの部署を異動し、デスクワークではなく、外に出て、現地を確認することが主の部署に異動した。ここでは、デスクワーク向きのタスク管理がことごとく使えなくなった。もしくは機能しなくなったともいえる。
原因は、タスク管理方法が悪いというよりは、仕事量がオーバーしたという感じだった。半日外で仕事して、帰ってから事務処理というながれなのだが、タスクリストを作っておいても、半日外にいるので、タスクが終わらない。リストがどんどん長くなってしまった。残業をしても、あまり進まず、やる気もなくなり、諦めの気持ちでいっぱいになった。
この時期は、タスク管理方法の転換やタスクの減量をしたかったが、そのための時間すらないような状況だった。
タスク管理では、解決できないことがあることを実感した期間だった。仕事量に関しては、マネジメントの問題でもあるので、一段上の話になってくる。
また、デジタルへのこだわりがあり、とりあえずなんでもデジタルでやろうとしていたこともうまくいかない原因だったかもしれない。
外での仕事は、小さなメモ帳の方が都合がいい場面も多かった。iPadにアップルペンシルで書いていたこともあったが、紙でいいものは紙のままでもよかったかもしれない。
タスク管理をしていたのに、無力感を感じた時期だった。
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アップルペンシル
Apple Pencil(固有名詞なので一応表記はしっかりと)
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現在は、デスクワークに戻っている。タスク管理の無力化やデジタル化の失敗も経験し、デジタルとアナログの併用で毎日のタスクを実行している。スケジュールはデジタルに入力し、タスクリスト(デイリータスクリスト)は、アナログで管理している。
タスクリストは、100円ショップで買ったB6の手帳に書いている。私は、高い文房具を使うとテンションが上がるタイプではないので、消耗品は低額のものがいい。ただし、100円ショップの商品は入れ替わりが早いので、その点が注意が必要である。
タスクリストに、タスクをあらかじめ書く日もあれば、実行する直前にタスクを書き込むという日もある。気になることを全部書き出すということはしない。全部というのは無理だし。
ルーチンのリストも紙に書いてある。ルーチンリストをみて、その日に実行するタスクリストに書き込んでいる。最近は、覚えてきたので、ルーチンのリストはみないことも多い。
後から頼まれたものは、小さい付箋に書いて手帳の隅に貼り付けておいて、実行する時に、リストに並べるように貼り付けるということをしている。
現在の職場は、デスクワーク中心で、割り込みが少ない。時間も確保できていて、環境も悪くない。前職の半日外仕事、割り込みは常時という環境とはだいぶ違う。時間が確保でき、環境が整っているので、今のところ、タスクは管理できている状態だ。
仕事がうまく管理できると、次に気持ちが向いたのは、仕事中の体調管理である。長時間座ったままで、パソコンを使用しているので、首、肩、腰への負担が大きい。夕方になるとカチコチになっている。
時々、トイレに行ったついでに、首や肩を回したり、1時間経過したら、立ち上がるようにしたりしている。朝と夜に、ストレッチを行うようになった。これはリストにはないが、無意識にルーチンとなりつつある。
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その点が注意が必要である。
「その点は」あるいは「その点が注意である」のような書き換え?
タスクを書き込むという日もある
「という」が削れないか一度検討を。
ルーチンとなりつつある
「ルーチンに」の可能性も検討ください。
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今現在、仕事に関しては、タスク管理(体調管理も含む)ができている状況にある。次に目を向けたいのは生活・家族に関してであるが、あまり管理が行き届いているとは言えない。
とはいえ、仕事のように管理したいのかというと正直わからない。あまり管理したいと思っていないかもしれない。管理するならば、デジタルで行いたいが、生活のほとんどは切り取れるメモ帳で十分であることも知っている。
生活までタスク管理を行き渡らせる必要があるかは、自分の価値観や家族の事情によるのかなとも考えている。
タスク管理、仕事のその先へ、探究の旅はまだまだ続きそうである。
rashita.icon2021/6/23
細かいツッコミをたくさん書きましたが、文章全体はとてもリアルなお話で面白いです。
固有名詞の表記違い以外はあくまで「指摘」や「提案」なので、参考程度に聞いていただければと思います。
ぷーあるちゃ.iconご指摘ありがとうございます😊「という」が多くて驚きました。これはある種、癖ですね。見直します。